終末のワルキューレ1巻がひどい!ネタバレあります

引用:Youtube「Warner Bros. Japan Anime」

“終末”のタイトルに惹かれて、試し読みしてみました。何か壮大なる物語を楽しめる予感に、身を任せてみたわけですが、ひどい内容だったので、その感想を書きます。ネタバレは当然、ありますのでよろしくです。

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終末のワルキューレ1巻がひどい理由

引用:Warner Bros. Japan Anime

再度読み返し、何がひどいのか確認した結果、いくつかの要素が浮かんだので、一つずつお伝えします。

神の発言に説得力がない

冒頭。神側の世界が描かれており、「1000年人類を見てきたけれども、あいつらダメだ」的な論調で、「終わり(終末)」にしようとの決定をくだそうとしています。

その中で一人の神は、

「あいつら反省する気まったくねえみたいだし、もう導くのとか面倒くせーし」

もう一人の神は、

「この1000年世界は醜くなるばかり・・・海はゴミと油にまみれ、森林は消滅し、生物は次々に絶滅、言うなれば、もはや人類こそが地球上の生物にとって最大の癌」

と発言をしていました。

正直、この時点で興ざめです。まず、最初の神は、何の話をしてるのかこっちに伝えていないですし、神らしさを塵ほども感じません。

反省、の解釈は難しいものです。

上司の男に叱られる女がいたとします。女は頭を下げ、しおらしい雰囲気を演出する。上司は満足した顔を見せ、「分かればいいんだ」と呟き、その場を離れていきます。女は顔を上げ、上司をあざ笑う不敵な笑みを浮かべた。なんて事象はよくある話です。

上司は反省したと思った。けど女は、その場しのぎでてんで反省していない。これが人類です。いや違うか・・・こういうケースも人類のあるあるです。


だからですね、神の視点での反省の解釈ってのが必要なんじゃないのって話です。

「反省する気まったくねえみたいだし」と解釈する神視点の思考がなきゃ、お前、神じゃなくてもいいからってことです。

で、次の神も、同じです。

全くつまらないよくある「人間」の思考を、神とやらのナリで、ほざいてるだけじゃないかと。

人類と神のバトルに移行する直前に、「スカイツリー」が巨大な足によって、ぶち壊れる描写が挿し込まれました。「終末」の決定がくだれば、地球は”そういう”感じでなくなるよ、の描写です。

であれば、設定されてる時代は、今我らが生きてる所に近いと推測できます。

・・・1000年の「進歩」は一切むし?

直近の20年を振り返ったって、とんでもない勢いで人類は進歩、変化しています。その中心を担っているのは、インターネットですよね。我らの生活環境、常識は、3年もあればひっくり返るようなペースで動いています。

それを・・・森林は消滅だとか。人類の進歩の歴史を一切無視して、失った部分だけにスポットを当てる。まるで客観性を欠いた発言、それでも神かと?

というか、世界が汚濁にまみれているのなら、神のちからを持ってして、クリーニングできないんですかね。何ができるんですか? 発想力も人間の平均以下、パワーもない? お前、神か?

このようなネガティブな思考が、10ページも読み進めない時点でわいたのです。

過去のマンガ作品に似てる

既出のマンガに似てるシーンがあると、私は読んでて興ざめです。特に、既視感の元になるマンガの評価が高ければ高いほど、醒め度は、高まります。

刃牙でよく見る「後日談」みたいな描写。完全に進撃の巨人みたいな過去の話と、わざとやってんのか? と思えるほど、他のマンガの要素が、1巻の50ページも読んでない時点で散りばめられていました。

これで醒めない人は、元ネタを読んでない人だけでしょう。

選択肢になってない

次はこれです。

うーん、ちょっと表現が違うかもですが、要するに、「大体思った通り」に話が進むんです。

芸人の松本りんすが、後輩のラジオ番組に出たときに、「お笑い界の川崎麻世こと、松本りんすです」と自己紹介をしました。

それを受けて後輩が、「男前ですもんねー」と返したのは、ザコシショウのyoutubeの視聴者ならば有名な話です。

後輩ですから、先輩にそう言われたら、「男前ですもんねー」と返すしか択がないのです。それと全く同じで、1巻で、神と戦う相手方が、三国志の「呂布」となったら、「神が苦戦する」しか択はないのです。

だって、「呂布は強いですもんねー」だからです。呂布が強いってのは、大して歴史を知らない私でも知っています。三国無双で呂布は最強の設定だったですし。

そんな歴史上の人物を引っ張り出してきて、なんだかよくわからん価値も不透明な、神とやらにあっさり負ける道理がないのです。予想通り、神は苦戦します。神側の娘が、人類サイドに神と戦える武具を与えた、との設定で。

思った通りに進むストーリーでは、感情は動きません。

主人公だれ?

1巻を2周読んだわけですが、主人公が誰なのかさっぱり分かってません。「主人公」なる概念を取っ払ったマンガなのでしょうか。

主人公がいない代わりに、1巻にして、無数のキャラクターが登場します。訳がわかりません。そもそも、1つの話の中にキャラがたくさん出てくる話がニガテな私にとって、読みすすめる行為はストレスを生みました。

主人公がいたり、キーパーソンが明確に設定されているのなら、他に有象無象が湧いてても問題ありません。しかし、前述の通り、主人公は見当たらないし、誰がキーパーソンなのかもわかりません。

一体、何が狙いなのでしょうか。描く人物を絞ることではじめて、読み手はキャラクターを深く知り、感情移入できるはずで、1巻の状態では、薄味にしかなっていない印象です。先を読み進めれば、今感じてる物足りない印象は変わるのでしょうか。

終末のワルキューレの良き点

引用:Warner Bros. Japan Anime

さんざん文句を書き綴って申し訳ありません。終末のワルキューレは、アニメ化されるほどの人気作品です。

純度100の汚物であるはずがありません。

心をアルプスの川の流れのように穏やかにして、冷静に本作を見つめます。

絵の描写力がすごい

引用:Warner Bros. Japan Anime

内容でつまずいて、見落としていましたが、終末のワルキューレの画力は素晴らしいです。何が起きているのか、理解できないシーンはありませんし、その上、迫力を感じます。

描写力が高いので、当然、キャラクターの見映えも美しく、各キャラ個性的に見えます。ただ、人間同様、人物は皮だけでは語れません。心とか脳とか、目に見えない部分がどう表現されるかも、キャラクターを描く上で大切だと思います。今の所、総合的に魅力的なキャラクターはいなかったので、今後の展開に期待しようと思います。

今の若者の価値観にフィットした内容

終末のワルキューレは、若者層に人気の作品です。であれば、彼ら若い世代の価値観にフィットした内容になっていると私は想像します。

私は、ドラゴンボールで育ちました。あの作品では、登場人物が出てきて、いきなり戦うようなことはありません。キャラクター同士の因縁・立ち位置など、じっくりと描いた上で戦いが行われます。

孫悟空と天津飯にしたって、「亀仙流」と「鶴仙流」と異なる流派で学んでおり、師匠同士はライバル関係を超え、嫌悪する仲にありました。

更には、鶴仙人の弟である桃白白を悟空がやっつけている事実、なども加わり、桃白白を尊敬していた天津飯は、底知れぬ怒りを悟空に向けました。

そのような流れからの、天下一武道会決勝「悟空vs天津飯」です。私にとっては、こういう因縁を交えた戦いが心地よく自然なのですが、もしかしたら、今の若者の価値観ではないのかもしれません。

とにかく、凄い戦いをすぐに見たい、早く戦ってほしい、因縁よりも刺激的なバトルシーンだ。このような価値観が前提になっているのだとすると、作者は、見事なまでに、時代の流れを読んでフィットさせたと言えるでしょう。

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