
1巻に続いて2巻を読みました。何か印象が好転するかと期待して、ページを捲ったのですが、結果的には2巻もひどいと感じました。以下でひどいと感じた根拠を書いていきます。
終末のワルキューレ2巻もひどい理由

1巻からお話が続いていますので、根本的な理由は大差ないかもしれません。

ちなみに1巻で示した、ひどい理由は上の通りです。
そもそも誰

1巻の呂布に続いて、人類側として舞台に登場したキャラは、「アダム」です。全人類の祖先、なのだそうです。それは良いです、別に。何ごとにも最初はありますから。
てか、まだ知り合ってちょっとしか経ってないんだけど、戦うとか言われたって一切の感情移入できなくね? って話です。
マンガを楽しむ上で、感情移入は重要なポイントです。私の読書経験では、主人公や主人公が属する側への感情移入が、かならず発生しています。

それなぁ!
ドラゴンボールだったら、悟空とその仲間たちの立ち位置に立って読むので、フリーザなど凶悪な敵の出現に対して、まるで自分の事のように、やべえ・・・と思ったり、逆転が起きたときに喜んだりしたわけです。
2巻の、アダムとジジイの戦いは?
両方知らねえよって話です。何の前置きも、キャラクターの説明というか行動も見せずに、はい戦って!と舞台に上がり、その様を見せられる。つまらんと思う以外、あるのでしょうか。
基本的に、過去の描写でキャラ説明が入ると、萎えます。昔そのような行動、出来事があったからなんだと言うのさ、と思うからです。
人間はロボットじゃないので、時間経過と共に変化します。肉体的にも精神的にも。だからこそ、今現在の行動によって、そのキャラの個性を伝えたほうが説得力が高いと考えています。
そのような現在の行動の積み重ねで、キャラクターを読み手は理解して、次第にマンガ内のキャラクターに対して感情移入できるようになる・・・と私は理解していますので、終末のワルキューレは、冷えたラーメンをどうだ!と出されたような感じがします。
いや、普通にまずいだけなんで、ちゃんと手順踏んでよって感じです。

ラーメンはアツアツにしろよぉ!
いちいち引っ掛かる

読んでて、いちいち引っ掛かります。これは私のせいなのだろうか?
たとえば、ジジイが出る直前に、バイオリン演奏のシーンがありました。そこで、モーツアルトとバッハが出てきて、泣いていたり、ちょろっとセリフを言ったりしています。
モーツアルトもバッハも、世界的に有名な音楽家ですよね。こんなどうでも良い、モブキャラみたいな扱いをしていいのか?と、引っ掛かりました。こんな適当なら、せめて名前を変えろよと。

それなぁ!
なんか涙しているけれども、リサーチしたのかも疑わしい。バッハは音楽に感動してよく涙を流した、みたいな史実があるのだろうか。
次は、ジジイの技名です。終末のワルキューレお得意の過去シーンにて、ジジイは父と対決して勝利しています。その対決の中で、父から盗んだと言いますか、父の技をジジイは覚えたそうです。
そして、現在に場面は戻り、ジジイのこんなセリフが続きます。
「父への敬意と憎悪を込めし、その技の名は・・・時を超える拳」
・・・は?
そもそも、敬意と憎悪を込めし、の時点で引っかかってました。そんな簡単にできる行為じゃないです。真逆ですから。
緊張と弛緩、これも真逆であり、「込める」なんてこたあできません。緊張を経て、緩みの意識を持って弛緩させるか、そもそも緊張の感覚を捨てることで弛緩を得ることが可能です。
敬意と憎悪も似たようなものだと思っています。敬意が何らかの形、裏切りなどで損なわれれば憎悪に反転する可能性がある。憎悪も、その強い感情が何らかの反発を受けて裏返ることで、敬意に変わる。
両方を「込める」とか、は?でしかない。だから私は一応期待しました。わざわざ、”その技の名は・・・”とまで引っ張るのだから、技名で、この「は?」の引っかかりが解けるかもしれないと。
結果は、さらなる「は?」でした。はの強化ありがとうございます。
ちなみに範馬勇次郎は、父親勇一郎とその技、「ドレス」に対して、以下のように語っています。
「勇一郎はまったくの別人、互いが対極に位置する。人生観、生き方、そして使う技も・・・」
そんななかドレスに関しては、「渋々ながら誇りたくなる技術」だと言うのです。
敬意と憎悪があるとすりゃ、こうなるはずです。心があれば。
いちいち心地よくない

ジジイが「時を超える拳」を発動しました。特に詳細説明なく2巻が終わりましたが、描写や技名から解釈するに、時間を止めて動くような技に見えました。
正直、既視感全開の技です。グルドにDIOに承太郎にヒロ・ナカムラ、時間を止める能力の持ち主は、過去にたくさん見てきました。私が知らないだけで他にもいるでしょうし、もはやオーソドックスな技でしかありません。
この時点で気持ちよさゼロですので、ゼロから気持ちよさを上げるには、ジジイ固有の設定が必要不可欠となります。何秒止められるのか、リスクはあるのか、何を動力に止めているのか。

それなぁ!
しかし、残念なことに内容の深堀りに入る前に、ジジイの「時を超える拳」は、対戦相手のアダムによって、あっさり返されて終わりました。アダムは相手の技をコピーできるので、そうなったとか。
この結果は2つの意味で「心地よさ」を私から奪っています。
一つは、上で書いた詳細が知りたい欲求が満たされなかった点。技を発動して相手や状況に、こんな効果がある、そこまで描いて技は技として、読み手に認識されます。
リクームの必殺技にイレイザーガンがあります。瀕死のベジータでは避けられないほどのスピード、クリリンに妨害されてなお、地形をふっとばすほどの威力。たった数ページであの技の魅力がきちっと描かれています。
それが、イレーザーガ・・・でクリリンが踵落としをして、リクームの口を完全に塞いで口内だけで爆発したらどうでしょう。なんだったんだ、イレーザーなんとかは?って形で、全く気持ちよさがなくなるのです。
技の効力を見せずに、返すってのは、そういうことです。アダムの能力の高さは表現していますが、だったら、あえて「時を超える拳」で苦戦を描いてから、あっさり反撃すれば良かったのです。

アダム空気嫁ぇ!
長くなりましたが、もう一つの「心地よさ」が無かった理由は原体験です。過去にメタルクウラと悟空の戦いがありました。瞬間移動を駆使する両者が、全く別の次元で動く様が描かれており、当時子供だった私は、それを読んでつまんねえなと感じたものです。
両方そうなったら、普通に動いてんのと変わんねえなと。つまんねえなの原体験が、時を超える拳のあっさり返されるシーンで、わざわざ掘り起こされてしまったわけです。
最後に
ここまで読み進めたので、まだまだ読もうとは思っています。アニメにもなるほど、ある一定の支持は集めてる作品なので、どこかのタイミングで面白みを得られる可能性も、2%くらい残っています。
ここまで一切面白くないマンガは、なかなか珍しいというか、それでいてアニメ化までなる現実に、大きなギャップを感じているので、もう少し、この作品を追っかけてみます。
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